Shanti Houseトークイベント@広州

先週末、15年前に家族3人で駐在していた広州を訪れ、これで第6回となるShanti Houseトークイベントを実施してきました。今回は単独講演で、7年前に亡くなった長男との暮らしや学び、どうしてソーシャルビジネスの世界に入ろうと思ったのか、そんな僕個人の生き方の話にフォーカスしました。

当時の僕は24歳。会社からもらった初海外駐在のチャンスを形にしようと必死でした。今や発展目覚ましい深セン市に支店を開設する為に1週間泊まりがけで出張したり、広東省内や福建省、湖北省などの遠隔地を訪れては新規の取引先を開拓したり。

当時の中国は(今もだけど)ドッグイヤーと言われるぐらいのスピードで発展していて、販売マネージャーとして、部下を数十人待たせてもらって現場を取り仕切る仕事は、やり甲斐が半端なく充実していました。生まれて半年の優大も広州に呼びましたが、医療体制も十分ではなく、てんかんの発作も完全にはコントロールできない中、中国語も話せない妻を家に置いて僕は仕事に飛び回っていました。

療育施設というものもない中国で、独りぼっちの介護・育児に2年半奮闘し続けた妻は、遂にノイローゼになってしまい日本に戻ってゆきました。それでも僕は会社の上司に頼んで単身赴任をさせてもらい海外駐在員のポストとキャリアを手放さなかった。生きるとはどういう事か、家族の大切さ、そういう事が見えないぐらい、勝つ為だけに生きている若者でした…。

仕事で成果を出す為にはのめり込む事が何よりも大切。今でもそう思っています。ただ、当時の自分は仕事100%で、そうする事が僕たち夫婦にとって最善であるという事を疑っていませんでした。本当はライフが無かったら、ワークなんてできない。それも自分だけの物ではなくて、家族みんなで一緒に作ってゆくライフ。家族みんなが生き生きと過ごせるかどうか、それが一番大切な事だと気づくことができなかったんですね。

※その辺りの話は妻と2人で書いた回想録に書いています。もしご興味ありましたら、是非お読み頂けたら嬉しいです。「優大と私たちの10年間の物語」

 

広州には当時の仲間がまだ残っていて、その中には現地で結婚されてお子さんを授かった人もいます。当時の自分の表の顔(海外駐在員・敏腕営業部長)しか知らない彼らに、裏の顔(家庭を一切顧みない駄目パパ)を自虐的に公開して来ました。その上で、自分がどれだけ浅はかだったか、その後に息子や妻からどんな事を学び、何故起業家という選択をしたのか、そういう事をシェアしてきました。

「誰にでも遺せて利益だけあって害のないもの、それが勇ましく高尚な生涯である。この世は悲嘆の世でなく歓喜の世である事を自分の命を使って体現して、その生きる姿をこの世への贈り物として去ってゆく。」私の人生の座右の銘となったこのメッセージを仲間にも伝える事ができたかなと思います。※内村鑑三著「後世への最大遺物」から内容を引用しました。

僕の人生の第3ステージ、「起業家としてありのままに生きる」はまだ始まったばかり。家族を始め、周りの皆様の暖かい支えのお陰で、思いのほか順調に離陸する事ができました。これからも自分の生き方・働き方を楽しみつつ、それが結果的に後世に遺ってゆくような、そんな風に毎日を生きてゆきたいと思います。

Shanti Houseの活動としても、また夫婦2人で一緒にトークイベント(夫婦漫才的な)やワークショップをやってゆきたい。海外は難しくても、日本全国でそんな機会が増えたら嬉しいです。まずはここ鎌倉・湘南からスタートかな。引き続きご支援を宜しくお願い致します!

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